稀代のスケーター ナイジャ・ヒューストン、選手生命の危機からどう復帰したか? NIKE『What Are You Working On』

アスリートの日常に密着し、競技や人生とどう向き合っているのか掘り下げるNIKE(ナイキ)のシリーズ「What Are You Working On」。先日公開された稀代のスケーターNyjah Huston(ナイジャ・ヒューストン)編『What Are You Working On (E29) 』も、多くの示唆やヒントに満ちている。

このシリーズでは、アスリートたちがスポーツの内と外での旅に出るとき、世界中で起きている“Working in Progress(現在進行形)”を紹介している。道を極めようとする者のマインドとプライベートが垣間見れるため、アスリートに関係なく興味深く観ることのできる人気シリーズだ。

ナイジャ・ヒューストンは先日NIKEでの待望のパート『Need That』をリリースしたばかりだが、実はこの撮影の終盤に膝前十字靱帯(ACL)を負傷している。幼い頃から危険なスポットに果敢に挑戦し、あちこちケガをしてきたが、今回ばかりはキャリアに関わる重大な負傷だった。冒頭、その負傷シーンのフッテージを観ながら「ああ、このシーンは今だに観るのが苦痛だ……。これよりもっとやばい落ち方したことは山ほどあるよ。でも今回ばかりはやってしまったんだ」とこぼす。常にポジティブなマインドで生きようとするナイジャでも、今回ばかりは重大危機だったのである。

それでナイジャが気落ちして、治療のためにひたすら休んで窓の外でも眺めていたのか? というとそうはならない。何せ彼は天才で稀代のスケーターである。その所以が短い動画には凝縮されている。

“回復までの長い道のり”

「簡単には満足できないタチなんだ。だから自分を誇りに思えるまでが、人一倍大変なのかもしれない。でも、深刻な怪我をした後はさすがに『なぜ自分はここまでして、恐怖やストレスに晒されてまで、コレをやっているのだろう?』って思ってしまうよ」

怪我の内容を医者に聞かされた当初は「自分の人生ごと引き剥がされてしまったような気がした」と振り返る。それまで築き上げてきた実績、そしてスケートボードという歓びまで取り上げられてしまう気がしたのだ。スケーターである父親の影響で幼い頃から滑ってきたナイジャにとって、スケートは人生そのもの。にもかかわらず、27歳にして人生最大の危機が訪れた。「自分が空っぽ(empty)になってしまったように感じた」と言うから、よほどのダメージだったはずだ。

だが、それでも歩みを止めるつもりはなかった。なんとかリハビリを開始すると「すぐ脚が強くなってゆくのを実感できたよ。気持ちを前向きにするためには、僕にはそれだけで十分だった」と振り返る。塞ぎ込んでいるのも束の間、すぐに前進を始められたのは、自力で復活できることを信じていたからだ。

“ベストを尽くすこと”

「怪我をする前は、僕はほとんど毎日スケートしていたんだ。滑って、撮影して、クリップやパートを完成させて。それが僕の日常だから。月曜、火曜と過ぎてもう来週のスケートのことを考えてる。毎日スタッフと連絡を取って、『どこそこに良いスポットがある』とか。ビデオを観て、自分を上げてさ。でもそういうのが全部失くなってしまうと、ただ普通に毎日を前向きに生きることすら難しくなってしまうんだよね」

運転しながらそう話すナイジャの口調こそいつも通りだが、最大の喜びを奪われ、これまで保ってきた速度を失った暮らしはもどかしかっただろう。スタッフとフッテージを確認しながら「最後にもういくつかラストのトリックが必要な気がしてきたなー」とこぼすシーンがあるが、スタッフも「もう少し撮影する予定だったんだよ。そしたら君が怪我したんじゃないか」と笑顔で話す。当然怪我はつきもの。起こってしまったことは仕方ない。とはいえ「こうやって改めて映像を見ると気分いいけど、実際はもう一つ二つやりたいことがあったからね。正直複雑な気分だよ」と悔しさを少し滲ませる。怪我もなく、満足ゆくまで滑ってフィルミングできていたとしたら、完成したものとは少し違うビデオになっていたのだろうか。

自宅での食事の様子も映るが、少量の野菜を炒めたシンプルな料理だ。「過去にも腕だの手首だの足首だの骨折してきたよ。でもその度に『こいつらもまだ怪我するような箇所じゃなかったはずだ』って考えるんだ」と説明する。つまり体の箇所に原因があるのではなく、自分がうまくコントロールできなかったからで、それはどういった点なのか、と考える習慣がついていると言うのだ。

さらに、少年の頃から大人に混じって活躍してきたナイジャは、「とにかく健康的で体に良い暮らしを自分に強いてきた。キャンディもソーダも、普通のミルクでさえ飲まなかった。クリーンでヘルシーな食事がベストな自分を作る、ていう考えをものすごく信じてるよ」と話す。ストイックな考え方だが、実際広い自宅には必要最低限のものしか置かれていないように見える。それもスケートを第一に考えているからだろうか。

「スケーターとして、できるだけ長く、思い通りに滑れるようにしていたい。それ以前に、人として長く健康的に生きていたいんだ」という言葉からは、ナイジャが今現在だけでなく、怪我を乗り越えたずっとその先をも見据えていたことがわかる。

“今の全て”

動画の最後では、再び怪我のシーンを観ながら「そうそう、レールに対して高く入り過ぎてるんだよ」と自己分析している。見るのは苦痛だが、失敗から学んでいるのだろう。「ほら、やばいって思ってる顔だけど、すぐに立ちあがろうとしてるでしょう?」「父親も怪我は見慣れてるから、ちょっとの転倒なら『スケートしてればよくあること』って感じで騒がなかったよ。そんな育てられ方だったから、転んでも自力ですぐ立ち上がるメンタリティを身に付けたんだろうね。だから今回の怪我みたいなことも、自力で立ち向かえる人間になれたんだと思う」と続ける。

気分良くスケートの夢を観ながらも「ああ、まだ数カ月はかかるんだった……」と目覚める朝もあったと言う。それでも立ち止まることなく、前に進めたのはなぜだろう。ナイジャ・ヒューストンの原動力はどこからくるのか。どこを目指しているのか。

「結局、自分に満足するために、人生が満ち足りるためにやってるんだよね。これまでの自分とか、実績とか、全てを最後に誇れるように。まあ、複雑に聞こえるよね。こういう想いって、聞かされても理解できない人が多いと思う。でも要は、完璧な人間なんていないってことなんだ。誰しもがそれぞれの苦難との戦いを経験する。僕は僕なりに、それらと向き合ってるんだよ」

彼の答えはあまりにもシンプルで普遍的なものだ。人生に満足したいからやっている。そのためには止まれないし、止まらない。「What Are You Working On(今、何に取り組んでいるのか)」と問われ、ナイジャ・ヒューストンはいわば“自らの人生と真摯に向き合うこと取り組んでいる”と答えたのだ。それは当たり前で難しく、全ての人に共通の普遍的すぎる命題ではないだろうか。

現代を生きるための示唆に富んだ『What Are You Working On (E29) 』ナイジャ・ヒューストン編。 スケーターだけでなく、誰にとっても必見すべき回である。

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