“野獣”マイク・タイソン、衝撃KOシーン15選

ボクシング史上最強の元ヘビー級チャンピオン、“アイアン・マイク”ことマイク・タイソン。凶暴な野生と正確無比な技術が同居するまさに究極のボクサーだが、それだけに歴戦の相手も破格のボクサーばかりだった。
特にキャリア全盛期の対戦相手は怪物揃いだったが……階級の中では小柄(178cm)にもかかわらず、そんなモンスターたちすら一様になぎ倒していったのがタイソンである。小兵が怪物に挑むかに見えて、試合後には圧倒的な力の差と恐怖から、怪物たちの方が絶望して怯えている。多くの試合がそんな結末を迎えたのだ。

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この映像は、数多いタイソンの衝撃的KOシーンから厳選してベスト15を選んだもので、本テキストではその前半戦をご紹介。改めてアイアン・マイクの爆発力、ボクサーとしての圧倒的な力に戦慄することだろう。酔っ払いを含めた一般人が安易に彼に絡んではいいわけなどないのだ。

・マービス・フレージャー戦(1986年7月26日)
すでに16勝という戦績を誇っていたフレージャーは当時、ボクシング界期待の選手だった。誰もが見どころ満載の試合を期待したにもかかわらず……フレージャーは試合開始からたったの30秒で、マットに沈められてしまう。決定打となったタイソンのアッパーで頭ごと後ろにのけぞると意識を失い、崩れ落ちたまま試合は終了に。フレージャーが意識を取り戻すまで数分かかったという。タイソン史上もっとも衝撃的なKOとも言われ、試合後のインタビューでも高揚したまま試合を振り返っているタイソンだったが「アッパーがフェイバリットのパンチだが、絶好のタイミングが訪れたので逃すわけにはいかなかった」と意外と冷静に分析しているのが余計に恐ろしい。野生だけではないタイソンの冷徹さがうかがえるシーンだ。

・アルフォンソ・ラトリフ戦(1986年9月6日)
トレバー・バービックとの王者決定戦のわずか2カ月前の試合。タイソンは駆け出しのプロ選手だった頃よりも経験を積んでおり、その経験値が発揮された試合となった。身長差のある相手の力量を早めに分析し、1R目から冷静かつ確実に追いつめると、一発の強烈な左フックで試合の行方を決定してしまう。そのまま弱ったラトクリフに8発の連続ブロウでラッシュを仕掛けたがクリンチに逃げられるも、2Rの前半であっさり試合を終わらせてしまった。

・トレバー・バービック戦(1986年11月22日)
WBC世界ヘビー級王者だったバービック。しかし1R目からタイソンは王者を圧倒する。倒れこそしなかったものの、ぎりぎりのところで避けた数発のパンチの威力に、バービックは力の差を感じたに違いない。2R冒頭でついに倒され立ち上がるも、続けざまにアゴへアッパー、そして頭部への左フックをくらい再び沈められたバービックは、立ち上がろうとすること3回。しかし再び立つことはなかった。戦闘不能と判断されあえなくTKO。頂点を争う強者同士によるタイトルマッチとは思えない圧倒的勝利で、マイク・タイソンは史上最年少ヘビー級世界チャンピオンの座についたのだった。

・ピンクロン・トーマス(1987年 5月30日)
アイアン・マイクの容赦なさが際立ったこの試合。トーマスも先のバービックに敗戦した以外に負けのない強者だったが、タイソンの前ではそんな戦績に意味はなかった。トーマスが6Rまで持ちこたえたことは特筆すべきだが、左右から襲いかかってくるタイソンのフックにスタミナは確実に刈り取られていき、最後はアッパーとフックのコンビネーションを何度も浴びせられてしまう。パンチが確実に、それも連続で頭部を捉える様子は、もし自分だったらと想像するとぞっとするほどだ。

自伝でタイソンは、「この試合で持てるもの全てでトーマスに襲いかかった」と振り返っている。「彼がどうなってしまうかなどと、一切考えることもなく」とも。

・マイケル・スピンクス戦(1988年6月27日)
1988年のボクシング界最大最重要の対戦と言われたこの試合。スピンクスはタイソンよりもはるかに豊富なキャリアを誇るタイトル保持者、そして両者とも無敗同士。世紀の対戦としてチケット代は跳ね上がり、マドンナやシルベスター・スタローンが観戦に訪れていた。そんな試合にもかかわらずタイソンの破壊力は歴戦のファイターを圧倒したのである。たったの1R目、中盤でアッパーがスピンクスのアゴを捉え、膝をつかせてしまう。続いて左右のコンビネーションであっさりと勝負を決めてしまった。試合時間はわずか1分31秒、短さもさることながら両者へ支払われたファイトマネーの額も話題となった一戦である。最強王者として君臨していたスピンクスはこの試合を最後に引退した。

・ラリー・ホームズ戦(1988年1月22日)
最強を自負し無敗だった多くの強者たちが、タイソンとの試合で、初めての敗北を味わう。ホームズもその一人である。タイソンとの対戦までは無敗だったホームズ、試合前まで自信満々にタイソンを罵り挑発したが、その結果は悲惨なものとなる。強烈なフックで右に左に揺れて倒れるホームズの巨体は、まるで解体される高層ビルのようだ。タイソンは野生をむき出しに襲いかかると、4R、まるで侮辱への報復と言わんばかりに3度のダウンを奪い、ホームズは屈辱的な敗北を喫することとなる。気を失い、立ち上がるのに医者の助けを要したホームズはこの試合を「唯一の敗北」だと言い、“タイソンこそ真のチャンピオン”と讃えたのだった。

・アレックス・スチュワート戦(1990年12月8日)
同年に東京ドームで“バスター”ダグラスに敗北し、まさかの王座陥落を喫したタイソンは、タイトルと名声を奪還し、汚名を返上すべく燃えに燃えていた。そしてこの試合でそれらをあまりの早さで奪い返したのである。最初のラウンドで3度のダウンを奪ってのTKO勝利は、むしろダグラスの評価を爆上がりさせたものだ。「タイソンは登らなきゃならない山の一つにすぎない」と強がっていたスチュワートは実況に「その山に簡単に振り落とされてしまったな」「ダグラスの足元にも及ばない」などと言われてしまう始末。スチュワートにとっては相手はもちろんのこと、タイミングがあまりに悪すぎた。

・バスター・マシスJr. 戦(1995年8月19日)
この試合を前にタイソンは、従来のピーカブー・スタイルをさらに攻撃的かつ、防御を強化したスタイルに変えていた。慣れない新スタイルのためか、最初の2Rはバスターが巧みにパンチを避け、クリンチを有効に利用するなど試合は長引くかに見えたが……そこはタイソン、勘の良さで自らの新スタイルを乗りこなし、相手の力量を測り終えた3Rであっさりと形勢を逆転させてしまう。アッパーカットの連発でマシスはマットに沈み、立ち上がろうとするも10カウントに間に合わずKO。動き回りながら攻めてくると踏んでいたが、真っ向から来たマシスとの対戦を「予想外だったが、彼が得意とするそのスタイルは俺のよく知るやり方だからね。真っ向から行くスタイルに関しては俺がNo.1だ」と勝ち誇った。

圧倒的勝利を重ねていくタイソンのKO劇は後編でも続いていく。

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