「誰もが厳しい状況をひっくり返す力を持っている」 般若はなぜ、ラップを続けてきたのか?

12月25日より、ラッパー・般若の人生に迫るドキュメンタリー映画『その男、東京につき』の公開が始まる。即興ラップの腕を競うテレビ番組『フリースタイルダンジョン』への出演で、既に彼の名は広く知られている。が、インタビューで語られる言葉への理解を深めるために、まずは簡単にその人生を振り返っていこう。

後にラッパー・般若となる武田嘉穂(たけだよしほ)は、1978年に生を受け、母ひとり子ひとりの家庭で育った。地元である三軒茶屋は、山の手イメージが強い東京・世田谷にあって、いまだ下町の表情を残すエリア。富裕層と貧困層が混在して暮らす地域でもあったことから、年齢差や体力差はもちろん、経済格差を背景とするイジメも存在したという。

中学時代、地元のゲームセンターで偶然出会ったヒップホップに魅了された嘉穂少年は、都立高校に入ると2MCのヒップホップ・グループ「般若」を結成。「YOSHI」の名でラッパーとしてのキャリアをスタートする。シーンで名を知られるようになるまでに、それほど時間はかからなかった。当時ヒップホップ・ファンの間で人気だったラジオ番組<YOU THE ROCKのヒップホップナイトフライト>で、年長のラッパーたちを公然と批判した楽曲「般若狂」がとりあげられたのだ。

ヒップホップ・グループ「般若」の高いスキルと独自のスタイルは、常に刺激を求めていたヒップホップ・ファンからの評価を集めていく。その一方で、白眼視されることも少なくなかった。今となっては「スキルやスタイルが全て」というルールが定着しつつある日本のヒップホップ・シーンだが、かつては目上の人間を「ディスる」ことをタブー視する保守的な空気が色濃く残っていたのだ。賛否両論を集めつつ、ストリートでの知名度を高めていく「般若」。が、ほどなくしてグループは事実上の解散を迎え、その名はYOSHIが引き継ぐことになる。ラッパー「般若」の誕生である。

1998年、般若は地元の仲間と結成したヒップホップ・グループ「妄走族」のメンバーとしての活動を開始して、さらなる注目を集め始める。「悪名を轟かせた」と言っても良いだろう。武闘派暴走族の元メンバーが複数所属していたこと、暴力の匂いが漂う不穏なリリック、なによりも「カチコミ」と呼ばれるライブへの乱入を繰り返すヤンキーまるだしのスタイルが、いわゆる「文系」リスナーやコンシャスなヒップホップを愛する人々から拒絶されたのだ。

しかし、そんな「アンチ妄」の間でさえ、高い評価を集めたのが、2000年リリースのソロデビュー曲『極東エリア』だった。日本におけるアジア人差別についてラップした同曲は、般若が日韓のマルチルーツであることを背景に制作されている。手に入れることが難しい音源ではあるが、機会があれば聴いてみて欲しい。飾らないストリートの言葉でまっすぐなメッセージを発しているこの名曲は、20年を経たいまも色褪せることがない。

話を戻そう。その後、般若は2004年に待望のソロアルバム『おはよう日本』をリリースした後、紆余曲折ありつつ着実なリリースを重ね、また少年時代から心酔していた長渕剛との出会いをきっかけに活躍の場を一気に拡大。徐々にライブでの動員記録を更新し、2019年には武道館での単独公演を行っている。

『その男、東京につき』は、そんな般若が歩んだ苦闘の歴史を、武道館でのライブの模様や関係者の証言を交えつつ振り返るドキュメンタリー映画だ。「カチコミ」、歯に衣着ぬディス、あまりに生々しく過激なリリック…20年以上のキャリアを通じて、般若は常に賛否両論を巻き起こし、逆風を乗り越えて生きてきた。そして、これまでの般若は、自らの背景を積極的には明らかにしてこなかった。

言葉少なで、シャイで、不器用な、まさに東京らしい男であるがゆえに、誤解や不当な評価を受けてきたことは否定のしようがない。だからこそ、と言って良いのだろうか。これまで般若を嫌ってきた人にこそ、この作品を推薦したい。三軒茶屋の少年は、いかにして自他ともに認める「万人受けしない」ラッパーとなったのか。その一端を垣間見て欲しいのだ。
般若の背後にあるものを知ることで、長年の誤解が解けることもあるだろう。もしかすると彼を「戦友」のように感じることさえ出来るかもしれない。『その男、東京につき』は、そんな作品だ。 前置きが長くなったが、今回は公開にさきがけるかたちで、被写体である般若に映画やラッパーとしての人生について話を聞いた。

REGENTSリージェンツ/YouTube

「親父の墓に行くくらいのことはしても良いんじゃないかと思った」

ーこの映画の企画が持ち上がったのはいつごろだったのでしょうか?

般若:足掛け3年だから…2年前です。2018年の12月に依頼があって、実際に取材が始まる10ヶ月前。撮影は2019年1月の武道館の前後に集中的にやって、今年に入って6月からも少し。基本的には俺の生活に密着していました。

ー制作にはタッチされたのでしょうか。

般若:曲や共演者を選んだり。後は「北九州に行こう」という提案をしました。親父の墓があるので。それと俺の本名は「武田嘉穂(たけだよしほ)」と言うんですが、北九州には俺の名前の由来になった「嘉穂劇場(かほげきじょう)」という場所があるんです。その他にも、いくつか映画のために撮影やインタビューをしていますね。

ー思い出を振り返りつつ、少年時代を過ごした世田谷区下馬周辺も訪れていましたよね。やはり印象に残ったのは、やはり北九州のパートです。かなりプライベートに踏み込んだ内容になっていました。

般若:正直言って、俺は俺のことをよく分かっていないところがあるんです。分かっていないことの方が多い。特に親父のことなんて、本当に何も知らない。普通の人が10知っているとしたら、0.5ぐらいしか知らない。だから実際に行って(インタビューの)撮影をした方がいいだろうなと思ったんです。ドキュメンタリー映画を作るにあたって、それぐらいのことはしてもいいんじゃないか。そう思ったんです。

ーたしかに現地に足を運んだからこそ、出てきた言葉や「空気」のようなものがあったと思います。ここ数年は自伝やドキュメンタリー映画を続けて発表していますが、何か心境の変化があったのでしょうか。また今後、この作品を通じて、曲やご自身を「解釈」されることになっていくと思います。そのことについてはどう感じていますか?

般若:心境の変化ってのは全くないんですよね。あと「解釈」されることでしたっけ?こういう作品に触れることで、より分かりやすくなるところはあるのかもしれません。で、それ自体は別に悪いことではないんじゃないですかね?ただ自伝にしろ、ドキュメンタリーにしろ、今回が最初で最後だと思いますよ。

「俺はいつも自分の中にある『普通のこと』をラップしてるだけ」

―ラップを始めてから今に至るまで、様々な内面の変化があったと思います。自分で一番変わった部分、逆に変わらない部分を教えてください。

般若:変わったところに関しては、俺自身が考えることじゃないのかなと思ってます。周りが自由に感じればいいんじゃないですかね。変わっていないのは「本音は曲で」ってとこ。逆に言うと、それ以外の部分は、あまり深くは考えていないんだと思います。
ただ(過去の曲を)聴いてもらえばわかることなんですけど…多分そんなに変わってないと思うんですよね。42歳になっても別に「俺がヒップホップでナンバーワンだ」みたいなことは言ってないし、これからも言わない。金のチェーンをつけるようになっていないし、タトゥーを入れるようになったりもしていないんで。結局、俺はいつも自分の中にある「普通のこと」をラップしてるだけなんだと思います。

「他の土地の人間と交流するうちに、自分の中で物の見方が変わっていった」

―たしかに「自然体である」という点では変わってないと思います。ただ2005年にリリースされた2ndアルバム『根こそぎ』の後ぐらいから、やや作風が変化したように思います。具体的に言えば、ハードコアな姿勢を崩すことなく、同時に「日本にしかないヒップホップ」の色彩を強めていった。土着化の度合いが強まった。それが新たなリスナーの獲得にも繋がっていったような気がします。なにか内面で大きな変化があったのでは?

般若:…どうなんですかね?まあ、そう思われたんなら、そうなのかもしれないですけどね(苦笑)。多分ですけど『おはよう日本』が発売されて、その後の『根こそぎ』の後くらいから、状況が変わったというのがあって。何があったかって言うと、毎週末にライブが入ったんですよね。ありがたいことに東京だけじゃなく、ほぼ全国から話が来たんです。自分でも訳が分からなくなってしまうぐらいの状況でした。色んな場所で、色んな人と出会って、繋がることもできた。当時の(ヒップホップシーンで活躍していた)俺ら世代の人間にはみんな会えましたよね。
で、その土地ごとにあるルールみたいなものだったり、そういうものも見ることができた。で、他の土地の人間と交流するうちに、自分とは違う考え方があることが分かった。俺は東京の人間なんで、その時まで東京の事しか知らなかったんですよね。それが他の土地の人との出会いの中で「こういうことなのか」「こうなんだな」みたいな経験が積み重なっていくうちに、自分の中で物の見方が変わっていったんです。(ちょっと考えて)「変わった」というよりは「広がっていった」っていう感覚なんですかね。少なくとも当時はそういうことを感じながらライブをやっていました。でも今、振り返って考えても、実際そういうことだったなと思います。

―常に目標を設定し、高い場所を目指してきました。わかりやすいところで言うと、キャリアを重ねるごとにライブ会場が巨大化していった。動機を教えて欲しいです。

般若:まあ、なんとなくでも目標はあったほうがいいですよね。そこに向かって進んでいけますから。いきなり「今から世界一高い山に登るぞ」って言ったって、そんなもん登れるわけないじゃないですから。
だったらまずどこの山に登ったらいいかって考えるじゃないですか?まあ、俺は山には詳しくないんだわかんないですけど(笑)。じゃあ「高尾山辺りから登ってみようか。で、その次は」となると思うんですよ。それと似たような感じで設定していっただけなんですよね。

ー徐々に高い山を登っていこう、と。でも目標をクリアすることが目的ではない。

般若:ですね。「今よりも、もうちょっと大きいステージに行けるだろう」って。そういう思いだけでやってきたんだろうと思います。DUOやって、ON AIR EASTやって、渋谷公会堂やって、AX やって、野音2回やって、武道館に行った。本当はどこかのタイミングで、バーンと武道館に行けば良かったんでしょうが、ちょっと時間がかかったなという感じですね。

ーラップ以外のところでも大変な努力を積み重ねてきたと思います。ワークアウトもその一つだと思うんですけど、映画の中で「好きじゃない」っておっしゃってましたよね

般若:好きじゃないって! このインタビューの前にもやってましたけど、「なんであんな辛いことをしなくちゃいけないんだ」って。いつも思ってますよ!だって重たいんですよ(笑)。

ーそれでも山に登るための準備として必要だってことですよね

般若:そうですね。「裏付け」にはなるじゃないですか。

「くすぶり続けて、苦しんだヤツしかわからない事も沢山ある」

ーコロナウィルスによって、人が生活の変化を余儀なくされています。心が折れかかっている人も多いと思います。般若さんは、紆余曲折ありつつ、決して折れることなくステップアップしてきました。とはいえ、これまで歩んできた道のりはハードなものだったはずです。なぜ今までラップを続けてこられたと思いますか?

般若:まあ「好きだった」ってところに尽きますよね。「根性論」みたいなところもあったんだと思うんです。あと、ひとつ違うのは、俺だって心が折れることはあるんですよ。正直言って、何度かターニングポイントがありました。まあ(ラップを)やめようと思ったんですよね。それが23〜4歳の時。それと27歳の時。特に23〜4歳の時は本当に潰れそうになってましたね。そこをクリアした後は、バーッと行ったんですよね。

ーどうやって壁を乗り越えたんですか?

般若:想像力です。想像力(力強く)。やめた後の自分を想像してみたんです。やめた後のモチベーションというか、精神的なところを想像して、止めることによって楽になる気持ちと後悔するという気持ちの比率を考えた時に、後悔する気持ちの方が大きいなって思ったんです。
本当に「後悔することになるだろうな」と思った。だから続けることにしたんです。まだまだ若い23,4の時の事ですけど、自分なりに想像力を働かせたんです。

ーソロでの活動を始める前後ですよね。当時、妄走族はグループの知名度が高まる一方で経済的な見返りが追いついてこなかった。グループ内での人間関係が複雑化したことや、アーティストとして進むべき道を見失いかけていたことも要因だったと聞いています。

般若:そうです。そうです(噛みしめるように)。世の中がこんな感じになっちゃったじゃないですか?今、世界中の人誰しもが「この先どうなるのか分からない」という先行きが読めない不安を抱えていますよね。
でも「そんな俺にいま何ができるだろう」と想像したんです。「曲を作って届けることなのかな」と思ったんです。しかもコロナの曲を作るのかって言ったらそういうことではなくて。「みんなが聞いて楽しくなるような曲をできるだけ作りたいな」って思ったんですよ。それを聴いた人たちが「そうだよね」「こいつバカだよね」みたいに思ってくれたら…それが幸せなのかな…。

―ラップを続ける原動力になっている?

般若:原動力といえば、そうなのかもしれないですね。 うん、俺は「俺の曲を聴いて笑ってくれたら幸せだぜ」って思ってますよ。

 ―「くすぶってる人たちに、この映画を見てほしい」とおっしゃっていました。最後に「くすぶってる人たち」にメッセージを

般若:さっきも言ったけど、俺自身間違いなく、くすぶってた時期がありました。でも、だからこそ身につけることができる「目線」みたいなものがあった。くすぶり続けて、苦しんだヤツしかわからない事って沢山あると思うんです。
もちろん下から上がってくる人だっていますよ?でも上から世の中に入って、そのまま(成功していく)って人も多いじゃないですか。俺は「自分は成功した」とか「偉くなった」なんて言うつもりはサラサラないけど、「これ以上は下がねえ」ってところにいた時期があります。
そうなったらもう上を見るしかないじゃないですか?結局、俺らみたいなものは、叩かれたら跳ね返すしかないんです。で、きっと誰もが厳しい状況をひっくり返す力を持っているとも思うんです。俺はそう信じてる。ずっと。

(一呼吸おき、不敵な笑顔を浮かべて)

しかも昨日『カイジ』を読んだばかりなんで。その気持ちは一層強くなっていますよ(笑)

インタビュー・構成:吉田大

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