現代美術家 ダミアン・ハーストの新シリーズ『Paper Veils』

現代美術を代表する一人、Damien Hirst(ダミアン・ハースト)が2019年から取り組む新作絵画シリーズ『Paper Veils』がいよいよ一般に販売され、早くも一部で話題になっている。

30年以上活動し、サメや牛など死んだ動物をホルマリンに漬けたハーストの初期シリーズはもはや説明不要なほどだ。美しさ、醜さ、生と死など両義性や矛盾をテーマに多岐に渡る作品で有名だが、毎回新作の度に大きく物議を醸すことでも知られている作家だ。もちろん現代アートには人々を挑発したり、あえて嫌悪感を抱かせる作品もあり、物議を醸すこと自体にも意義があるのだが、ハーストの場合は「自ら進んで批判をもらいに行っているのではないか」と思われるほど。

そんなハーストの新シリーズ『Paper Veils』は大サイズが100点、小サイズが200点の絵画がそれぞれ45,000ドル(約600万円)、25,000ドル(約330万円)で販売され、購入希望者は専用フォームに好きなアート作品を3つ、それぞれすでに所有のアート・コレクションの内容、支払い方法を記入することが必須となっている。

さて、この『Paper Veils』の興味深い点は、ハーストがこれまで晒されてきたあらゆる種類の批判を回避しうる作品になっていること、そしてそのことが逆の意味で物議を醸す作品となっている点だ。

まず、インスタレーションから銅像まで、あらゆる手法で作品を発表したハーストからすれば、“美しい絵画作品”での表現は最も古典的で保守的とも言える手法だ。「学生時代は絵画を見下していた」とまで言うのだから、原点回帰ですらなく後退と思われても不思議がない。とはいえ、これまでも絵画には取り組んでおり、過激で挑発的な側面は継続していたのだが、“悪質なユーモア”などと非難されるようなものでもなく、シンプルに鮮やかな絵画を描いている。このような点描画のスタイルは2017年頃からの『Veils』かシリーズから引き継いだものだが、その頃から考えに変化があったことが一連の作品からも伺える。

これまでハーストは工程の多くをスタッフに任せていたことによる批判もあった。しかし、今回は自ら一人で完成させている点にも注目だ。最近の点描画の原点とも言える、90年代に発表した代表作『Spot Paintings』は1400点も製作されたが、ハースト自ら完成させたのはたった25点ほど、残りはアシスタントチームによる製作とも言われており、「果たしてハースト自身の作品だと言えるのだろうか?」という疑問が生じていたが、今回はそういった批判が向けられる余地はない。

過去のシリーズの場合はペンキを用いるため、乾くまで時間が必要だったり、単純に点数の多さによりスタッフが必要だったのだろう。それにウォーホルの時代から、コンセプト的に大量制作が重要な場合は、特に製作過程でスタッフに任せたり、外注したりといった方法が取られてきた。なので作家本人が物理的に手を加えていない作品を「果たして(自身の)作品と呼べるのか」という議論は難しいところで、特にハーストの場合は知名度や動く金額の大きさもあって殊更批判されていたのだろう(本人のアティチュードへの反発もあったと思われる)。

しかし今回の『Paper Veils』は、全て本人一人の手によるもので、ハーストはこの『Paper Veils』について「観る者には絵の中に没入してもらいたい。絵が人々の眼を悦ばせ、絵の中にずっと居たくなるよう願っている」と解説している。常に変化する流動性を内包し「天の川の星や、植物、空に打ち上げられた花火、あるいは空から見た、色彩豊かな田舎の風景のように見える」とも。観る者の歓びのために、ひとつずつ自らひとりで作成したのがこの『Paper Veils』なのだ。

影響を受けた画家としてGeorge Seurat(ジョルジュ・スーラ)、Pierre Bonnart(ピエール・ボナール)といった印象派以降の作家を挙げ、ここのところ絵画に取り組んできたハースト。六本木の国立新美術館で大規模展示が昨年開催され、話題を呼んだ『Cherry Blossum(桜)』も一連の点描画の発展系と言え、桜が持つ象徴性に取り組むことで、生の有限性、死の不可避性という彼の重要なテーマがさらに追求されていた。

他にも2020年にはコロナ・パンデミック期の医療機関、その直後にはイタリアの児童支援団体のため作品のチャリティ販売を行うなど、従来のイメージと違うアート活動を展開している。流動性や変化自体というものもアート表現だが、そういう意味でハーストの作品や多面的な活動もアートと呼べるものである。世界情勢、疫病、テクノロジーの進歩など、目まぐるしいことばかりのこの時代において、彼のアートはひとつの試みにして指針、あるいは劇薬ともなりうる。

ダミアン・ハーストはポスト・コロナの世界でこれから何を提示してくれるのか? 今後もその活動に引き続き注目していきたい。

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