Clarksの『ワラビー』がヒップホップカルチャーのアイコンシューズになるまで

イギリス生まれの老舗フットウェアブランド「Clarks(クラークス)」。デザートトレック、デザートブーツといったこのブランドの定番シューズと並び、ストリートシーンで長く愛されてきたのが『Wallabee(ワラビー)』だ。

ワラビーがストリートで支持されるようになった背景には、ニューヨークのヒップホップ・シーンがある。クラークスが制作したドキュメンタリー「Clarks and New York: Soles of The City」は、ニューヨークにおけるストリートカルチャーの中で、いかにしてワラビーがその中心的役割を果たすまでになったかを伝えている。

ドキュメンタリーには、ヒップホップグループ、ウータン・クランのレイクウォンとゴーストフェイス・キラー、スタイルズ・P、デイブ・イースト、スモーク・DZA等のラッパーや、グラフィティアーティストのFUTURA、2パックやノトーリアス・B.I.G.等も贔屓にしたブランド「Walker Wear」のエイプリル・ウォーカー、気鋭のスタイリスト、ダニー・シエラ他、ワラビーを愛する人々が登場。ワラビーとの出会いや思い入れなどを語っている。

さて、ニューヨークでのワラビー人気を語るにあたっては、1980年代まで遡る。ヒップホップがアンダーグラウンドからメインストリームへと移行していくにつれ、彼らのファッションが音楽と同じくらいの影響力を持つようになるが、当時RUN-DMC、KRS-One等ニューヨーク出身のアーティストの間で、ワラビーはユニフォーム的存在となっていた。そして1990年代に入るとスタテンアイランド出身のウータン・クランが好んで着用したことでワラビーは爆発的な人気を得るようになる。

スモーク・DZAが「ウータン・クランのレイクウォンとゴーストフェイス・キラーが最初にワラビーを履いているのを見た。彼らの影響で90年代のワラビー人気が高まった」と証言するように、ワラビーのストリートでの地位確立にウータン・クランの存在は欠かせない。当のレイクウォンは、「最初にワラビーを履いているのを見たのは、ジャマイカ移民の黒人と、地元のドラックディーラーたち。デザートブーツが主流だったが、中にはワラビーを履いている奴もいた」と、クラークス、ワラビーとの出会いを意外にも冷静に語っている。

一方のゴーストフェイス・キラーは、自身をワラビー人気の立役者だと自負する。「85年とか86年だったと思うが、スタテンアイランドで徐々に人気が高まっていた。しかしワラビーが世界的に注目されることになったのは、俺のアルバム『Ironman』のアートワークがきっかけだと思う。あんなにヤバいジャケットは今まで見たことがない。いろんな色のワラビーが使われているんだ。ある日、中国人のところに大量の靴を持ち込んで染めてもらうように依頼した。するとスイカやライムグリーン、キャンディケインみたいな赤白ストライプにワラビーを染めてみせた。そこで一足を半々で異なる色に染めてくれと頼んだ。それがジャケットに採用されている」と、当時のエピソードを披露。さらにワラビーの工場/ラボを舞台にした「Apollo Kids」のMVについても、「この上なくイケてるビデオだ」と豪語している。

ウータン・クランのワラビーへの影響力は他のアーティストも認めるところで、スタイルズ・Pは「ゴーストフェイスとウータンが与えた影響は計り知れない。彼らがいなかったらここまで成長していないだろう」と称える。

またウータン・クランの活躍を描いたドラマ『ウータン・クラン:アメリカン・サーガ』でメンバーのメソッド・マンを演じたデイブ・イーストは、「撮影セットにワラビーが並べられていて、さながらレイクウォンとゴールドフェイスのワードローブのようだった。セットに入ると当時の彼らの様子がイメージできた」と振り返る。

グラフィティアーティストとして名高いFUTURAは初めて手にしたワラビーについて回想。「デザイナーのNIGOから特別にデザインされた一足のワラビーをプレゼントされた。時代の先を行くデザインで、NIGOの美学の承認印付きの靴をもらったようだった」と、当時の感動を語っている。

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