ドミニカ系の父とトリニダード系の母の間に1992年に生まれたベルカリス・アルマンザー(Belcalis Almanzar)も、超人気スター“カーディ・B(Cardi B)”になる前は、どこにでもいる1人の女の子だった。
サウス・ブロンクス出身で、祖母のいるワシントンハイツにいることが多かったという彼女には、妹ヘネシー・キャロライナ(Henessy Carolina)がいる。妹の愛称が“ヘネシー”だったことから、これにならって姉も酒類メーカーにちなで“バカルディ(Bacardi)”のニックネームで両親に呼ばれるようになり、これが短くなってカーディ、そしてカーディ・Bという芸名を名乗ることになる。頭文字の“B”は時によって“Beautiful(美)”、そして“Bully(いじめっ子)”を意味するという。
10代になる前に両親は離婚。インタビューでは、継父との微妙な関係もあり、幼いながら「人生は延々と続くエクササイズと終わらない失望の連続」だと悟ったと振り返っている。ティーンになったカーディは、デトロイトのルネサンス・ハイスクールで舞台、音楽、テクノロジーを学んだ。舞台でパフォーマンスを披露する優秀な生徒だったが、成績が原因で結局は退学になってしまう。彼女が言うには「学校よりも友人を優先したから」だそうだ。そんな16歳のころには、ドラッグの取引をビジネスとする黒人ギャング<Bloods>の一員だったこともある。
18歳、母に勘当され家から追い出されたカーディは、マンハッタンのBMCCでフランス語と歴史学を専攻。学校へ通いながらトライベッカのアーミッシュ系食料品店でレジ係のバイトをしていた。しかし学業との両立は大変だったようで、1週間で200ドルしか収入がなかったそうだ。おまけに、しょっちゅう同僚に割引したり遅刻常習犯だったため、店長から“丁重に別の道を提案”されたらしい。このころ、カーディはDV男と付き合っており、彼の母親と2匹のピットブルと同居していた。
収入を絶たれたカーディは、元バイト先の斜向かいにあるストリップクラブ<New York Dolls>で働くことを即決。最初の出勤では8時間働いて300ドルを稼ぐことができたというから、前職に比べたら破格の待遇だったのである。ストリップの仕事に就いたのは、金を稼いで悪い環境と縁を切って悪循環から脱出するためでもあったとインタビューで説明している。晴れて自由を手に入れた彼女は、再び学校へも通い始める。歴史と政治学を学ぶためだったが、しかし今度も学校を辞めることに。彼女が言うには「男子のせいで集中を妨げられていたから」だそうだ。
19歳、ストリップクラブで週6日・8時間働くカーディは、マンハッタンの南の方にあるもっと条件の良い“アーバン”なストリップクラブにも出演することに。スペイン語を話せることが肌の色や人種の壁を越えるのに役立ったという。しかし、稼ぎのいい仕事ではあったが、悪い面もあったという。それは自分の身体に自意識過剰になってしまったことだった。もともとスリムで幼い体型だったカーディだが、ドミニカ共和国にわたって豊胸手術を受け、さらにはヒップの手術も「どこかの地下室」で受けたという。何が入っているのかわからないらしく、「死んでてもおかしくないわよね!」と語るカーディ。この時、22歳になっていた。
もともと25歳でストリップを辞めるつもりだったカーディは、23歳で引退することにする。次の活動の場をSNSに移した彼女は、InstagramやVineで注目を集めて瞬く間にSNSスターに成長。「モデルなの? 本業はなんなの?」という質問に、「私はただのヤリマンよ。ストリッパーで、お金が大好き」とあけすけに答える動画も話題になった。彼女は有名になる前からストリッパーだった経歴を堂々と公言しており、「ストリッパーだった過去を恥ずかしく思うべきだってみんな言うのよ。でも、私は絶対に恥じたりしない。あの経験でいろんなことを知ることができた。人間のこと、飢え、男のこと、情熱、野望や夢について」と語っている。
ある日、ブルックリンのラッパー、ボビー・シュマーダがカーディの動画をシェアしたことがきっかけで人気が一気に膨れ上がる。その流れで音楽業界が舞台のリアリティ番組『LOVE&HIPHOP』のNY編に出演。当初は脇役の1人として登場したものの、わずか数話でその存在感が話題になり、番組プロデューサー陣も彼女こそが金のなる木だと見抜いた。彼女の包み隠さない正直さ、あけすけさ、率直でウィットに富んだ発言は、視聴者のリアクションが命であるネット時代の番組にぴったりだったのだ。印象的な発言や名言を量産する彼女を観るために視聴率は上がり続け、そして彼女は多数の番組にも出演する人気タレントとしての地位を確立した。
タレント業に大忙しの間も、虎視眈々と音楽キャリアの準備を進めていたカーディ。シャギーの「Boom Boom」のリミックスを皮切りに音楽作品のリリースを開始すると、2016年に記念すべき1stミックステープ『Gangsta Bitch Music, Vol.1』をドロップ。そこからは早かった。彼女を筆頭としたKSRレーベルのコンピレーションアルバム『Underestimated』を挟み、2017年には『Gangsta Bitch Music, Vol.2』をリリース。そして間もなくして大出世シングル「Bodak Yellow」を世に放ったのだが、周知のとおり、この曲が彼女の人生をさらに加速させることになる。「ヒットするだろうか?」と不安に思いながらも、結果的に世界中で大・大ヒットを記録し、彼女の人生は一変したのだ。
あまりにヒットしたため、カーディは「次の作品なんて作ることができるのだろうか」と不安に駆られたらしい。一発屋になってしまうことを危惧してたのだ。実際、フランス、イタリア、UKでゴールドディスクを獲得し、オーストラリアではダブルプラチナ、カナダではクワドラプルプラチナ、本国アメリカでは6プラチナを記録する爆発的な売れ方だった。おまけにヒップホップの歴史まで塗り替え、2017年10月にBillboard Hot 100で首位を獲得したのだ。女性ラッパーとしては1998年のローリン・ヒル以来の快挙だった。デビューシングルの大ヒットを受けて、ブルーノ・マーズ、ニッキー・ミナージュといった大物との共演も果たした。
不安のなか、21サヴェージを迎えた2ndシングル「Bartier Cardi」をリリース。前作ほど爆発的ではないが大ヒットを記録し、アメリカとカナダでダブルプラチナに輝いた。「一発屋で終わるのでは」という彼女の心配は杞憂に終わり、一発屋どころか彼女の名前を知らない者はいないほどのスターになっていた。そしてこの2曲のほかにミーゴズ、チャンス・ザ・ラッパー、ケラーニなどがゲスト参加したデビューアルバム『Invasion Of Privacy』を2018年4月にリリース。
私生活では2017年にミーゴズのオフセットと交際を開始すると、10月のカーディのライブでオフセットが公開プロポーズ。実際にはその1カ月前に入籍&挙式済みだったらしいが、そこからくっついたり離れたりのお騒がせ結婚生活が開始した。そして愛娘カルチャーちゃんを身ごもると、大きなお腹で米人気番組『サタデー・ナイト・ライブ』にも出演。妊娠にともなって夏のツアーの残り日程をキャンセルし、翌年2018年に無事出産した。母になることを「甘く見ていた」と彼女は語る。
カーディの半生を振り返ると、夢をあきらめないことがいかに人生にとって大事か教えられるようだ。努力することの大切さを彼女自身が証明している。ブロンクス育ちのストリッパーは、いまやラップシーンに欠かせない存在となり、世界的なスターとして活躍中。そしてその勢いに衰える気配はない。
実写映画『バービー』のサントラに、デュア・リパ、リゾ、チャーリーXCXら豪華アーティストが集結
映画『リトル・マーメイド』×マクドナルド「Happy Meal」がキャンペーン動画に込めた想いとは?
BMW、7年ぶりのショートフィルム発表 迫力のカーチェイスを繰り広げる『THE CALM』
NewJeans、ジョン・バティステ×コカ・コーラの楽曲『Be Who You Are (Real Magic)』に参加
「KENZO」からNIGOが手がける初のスニーカー『KENZO-DOME』が登場
人類の存続をかけたAIとの全面戦争を描く 「ローグ・ワン」監督最新作『ザ・クリエイター/創世者(原題:The Creator)』
手のひらで支払いができる『Amazon One』に新機能“年齢認証”が追加
“消費者がデザイナーになる” アンジェリーナ・ジョリー、ファッションブランド『Atelier Jolie』を立ち上げ
雑食系インストバンド・SAIRU、3rdアルバム『SPREAD OUTWARD』をリリース
ナイキを象徴する6つのモデルが歴代の名作カラーを纏って登場『NIKE ICON FLIP COLLECTION』
はじめてのジャマイカでくらった洗礼が衝撃的すぎる|MASTA SIMON インタビュー#2
JACQUEMUS × NIKE 最新コラボスニーカー『J Force 1』が登場